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久留米藩
天正15年(1587年)豊臣秀吉による九州平定ののち、7万5千石を領することになった毛利秀包(ひでかね)(毛利元就の9男、小早川隆景の養子)久留米城を居城とした。秀包は羽柴久留米侍従と呼ばれ慶長の役の戦功により13万石まで可増される。大友宗麟の娘を妻とした縁もあり、キリシタン大名として活動する。関ヶ原の戦いの際に西軍に与したため改易となる。その後、田中吉政・田中忠正
の後、摂津国有馬郡三田2万石を合わせた8万石の大名、有馬豊氏は、久留米21万石に栄転。元和6年(1620年)
それから明治維新まで約250年にわたり有馬家に治められた。




毛利と大友


毛利と大友2
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